
講義全体の目的と、どのような方に推奨される講義なのかを説明します。導入が異例なほど長くなる理由についても説明します。
講師の自己紹介と、「哲学書の読み方」を語る資格に関する説明を行います。
「自己紹介」を、さまざまな付帯的要素と併せて総合的に勘案することで、本人の「下心」ないしは戦略を読み取ることができる、ということを説明します。その際には、人文系アカデミアにおいて見られる具体的な「自己紹介」の例も提示します。
「哲学書」の読み方に関する講義の前提として、「哲学」なる営みにどういった意味があるのか、その意味を語ることの意味とはどういったことか、どうしてこの講義において「哲学」の意味を問わなくてもよいのか、を説明します。
「哲学の学説のまとめはあちこちに転がっているのに、どうして自分で読む必要があるのか?」という問いを想定したうえで、それでも自分で直接読むという作業には意味がある、ということを説明します。
導入(3)への補足として、(学説のまとめでなく)哲学テクストを直接読むことには、「予期せぬものを意図的に探す」という意味がある、ということを説明します。この動画については、スライドはありません。
「哲学書は言語で書かれているんだから、方法なんて考えずに読めばいいんじゃないの?」という問いを想定し、それに回答します。哲学ないし哲学書を読むということが専門知を用いた営みであるということを説明したうえで、それゆえに方法論が必要である、ということを説明します。
「哲学書を読むためにある程度特殊な『読み方』が必要なら、その読み方はどこで教えられていて、なぜ一般に伝わってこないのか?」という問いを想定し、応答します。「読み方」は大学で時間をかけて謂わば身体的に教えられており、或る種「辛気臭い」うえに言語化しづらいものであり、専門家にとって外に教える旨味がない、という点を具体的に説明します。
日本には「哲学する」ことと「哲学書を読む」ことを区別し、前者を「本当の哲学」としたがる人がいます。つまり、「自分の哲学的問題を考える」ことを「哲学」と見做して称揚し、文献を読むことは「哲学」ではない、として(なぜか)下に見る態度です。これは残念ながら藁人形論法ではないので、このような狭義の「哲学」観の問題を指摘し、「(哲学書を)読む」ことが持つ積極的な価値について、お話しします。
ここまでの動画では、講義の積極的な意義を紹介してきました。この動画では、この講義の持っている限度・限界について説明します。こちらにとって不都合な事実をわざわざ説明するのは、何よりも受講を考えている皆さんに対して誠実でありたいと考えるためです。
講義において実施されること・どのような内容が公開されることになるかということ、を説明します。その中では、講義の動画が必ずしも「漏れなく・ダブリなく」という精神を持たず、必要なことは何度も何度も繰り返すものであること、も説明されます。
この講義の特徴として、ひとつひとつの動画が長い、ということがあげられます。こうした形式にも一定の意味がある、ということ、及び形式に意味があると思ってかかることが哲学テクストを読むときにも重要である、ということをお話しします。
この講義は、タイトルにある通り、音源が付されています。音源を付している理由とその活用の仕方について、簡単に説明します。
古典的な哲学テクストの本体に入っていく前段階として、「入門書」の類を用いたほうがよい、ということを確認します。
入門書といってもさまざまなので、「はずれ」を掴まないための具体的な選び方について説明します。
「入門書の選び方」に関する動画では、著者が専門研究者であることを重視する、という方針をお伝えしました。この点に関しては、「権威主義ではないか」という批判がありえ、またその点について部分的には応答を行っています。この問題、つまり学知に関する「権威主義」の問題によせて、私個人の哲学的問題にも関わる「権威」について、もう少し詳しくお話しします。
入門書を手に入れた後の話として、具体的にはどのように読み進めていけばよいか、ということを確認します。もちろん前提知識なしでも読めることになっているからこそ「入門書」なのですが、やはり基本的な態度を確認することの価値は大きい、ということです。哲学に限らず、専門領域に入っていく際の態度として概ね妥当と考えられるものを提示します。
入門書の類と同じく、装備として重要な「辞書」「事典」の類について、少しお話します。歴史的負荷を持った専門領域の分野の書籍を読むにあたって、国語辞典では太刀打ちできないということ、専門的な事典を持っておくとかなり見通しがよくなりやすいということ、を説明します。
哲学の古典テクストを買うにあたっては、同じ著者の同じ著作であっても、さまざまな版・翻訳が存在し、混乱の種になりえます。どれも等しく適切な正しさを持っているわけではないので、そのあたりの注意点を述べます。
哲学テクストはどこから読みはじめてもよいものである、ということを説明します。最初から順に読み進めることが期待される推理小説とは異なり、順序を替えて読んでも全く問題がないということです。
哲学テクストは読破する必要のないものであり、気になった箇所・限られた箇所を重点的に読む、というプロセスを繰り返せばよい、ということを説明します。
若干長い動画になっていますが、およそ重要な内容を持つと想定される文章を読むにあたって守るべき、「当然」に見える6つの基本的な態度を説明しています。忙しい方は、この動画だけでもご覧いただけると、およそのエッセンスを掴むことができると考えられます。動画でも説明しますが、概略は以下の通りです。
1.相手を最大限賢く見積もる
2.「感想」は持たない
3.ゆっくり読む
4.音読してみる
5.虚空に解説してみる
6.諦める
特に哲学テクストにおいては、「問い」と「答え」を暴き出すことが重要になります。哲学テクストが読者である私たちの条件にあわせて書かれているわけではないということ、問いや答えがわかりやすく明示されているとは限らないことを踏まえ、そうした一見不親切な文章に付き合っていくためには、文章の「問い」と「答え」をある程度形式的に暴くことが必要になる、ということを説明します。
急いで要約したがる態度は、哲学テクストに限らず、重要な内容を伝える密度の高い文章を読むにあたっては適切ではない、ということを説明します。
講義に関連する限りで、フランスの哲学教育ではどのようなことをやるのか、概略を説明します。特に、「問いと答えを明確にする」「性急な要約を行わない」ということは、講師自身がフランスの大学で哲学の専門的教育を受ける中で鋭く意識することになった要素です。
活版印刷術の普及以前の西ヨーロッパでは、書物の複製は手によって写すことで成立していました。そうして手で書かれた「写本」を研究する「写本学」におけるあるひとつの原則は、現代の私たちが活字となった文章を読む際にもおおいに示唆に富むものです。そうした原則——Lectio difficilior potiorの原則——を、写本の図版とともに紹介いたします。
講義全体の特徴は、内容もさることながら「ぶっちゃけ」ている、「率直である」というところに存しますが、この動画は最も「ぶっちゃけ」ています。「教える」ことの対価をいただく理由について、本講義の講師は、一般にビジネスをやっている人間や、通常の「教育」に携わる人間とはおそらく大きく異なる観点を持っています。その点を説明します。
タイトルの通りです。フェイクを入れつつ、人文アカデミアで横行するヤクザ的言語使用や、表面化しづらいマイルドなアカハラの事例をお話します。そこから権力の問題に、ひいては哲学テクストを読む意義の一端に立ち返りたいと考えます。
一般にコンテンツに対して、レビューや感想を書いて制作者に伝えることの効用について説明しています。
(1)レビューを書くことが自分にとって復習(review)になること、
(2)レビューを上手く使えばコンテンツ制作者から新たなサーヴィスやコンテンツを引き出しうること、
が中核的な効用となります。
このレクチャーの【リソース】としては、本講義全体(除演習問題)の音源ファイルを添付いたします。解凍ソフトなどで解凍したうえでご利用ください(解凍ソフトなどの条件によっては文字化けが生じますこと、予めお詫び申し上げます)。
【注意】或る種の人——特に、自分の知性や教養に自信をお持ちの方——は自尊心を傷つけられる可能性がありますので、ご注意ください。
読んではいけない書物というものがありますので、その点について放談しています。ライブ感あふれる一発撮りです。
導入です。テクスト選定の理由などについて述べています。
古典的な著作については、通常の書籍とは異なるかたちでの引用が行われることがしばしばです。アリストテレスを例にとり、その点を説明します。
古典的な著作については、通常の書籍とは異なるかたちでの引用が行われることがしばしばです。トマス・アクィナスを例にとり、その点を説明します。アリストテレスとは若干事情が異なり、トマスにおいてはこの点(出典表記)はダイレクトに論述のありかたに関わってきます。
演習問題の第1回です。今回は、テクスト本体を読む前提となる、参考資料1・2を確認します。
【リソースをダウンロードのうえ、ご覧ください】
レクチャーのタイトルにあるテクストの解説を行います。受講される方は、
・「リソース」中のテクストに記載された課題に取り組まれてから動画を読む
ということでもよいですし、
・単に文章を読みながら動画を読む
ということでもよいのですが、いずれにせよ、「リソース」中のテクスト(を印刷したもの)を手元において受講されることを強くおすすめします。
演習問題の第2回です。今回は、参考資料1・2を復習した後、テクストの前半を検討します。
「第1回」のリソース欄にあるテクストを手元において、ご覧いただけますと幸いです。
演習問題の第3回(最終回)です。前回の復習を行なったのち、テクストの後半を検討します。
演習問題の第1回のリソース欄にあるテクストを手元において、ご覧いただけますと幸いです。
このレクチャーの【リソース】としては、この演習問題全体の音源ファイルを添付いたします。解凍ソフトなどでご解凍のうえでご利用ください(解凍ソフトなどの条件によっては文字化けが生じますこと、予めお詫び申し上げます)。
■目線の高いあなたのための、一生モノの「読み方」
2000年以上続く知的分野に自分でアクセスするための方法を得たくありませんか。
世の中には色々な「知識」や「スキル」が転がっています。数年後には使えなくなっているかもしれない小金を稼ぐ最新技術、短期的・表層的で汎用性の低い小手先のビジネススキル、信憑性の低い学説のまとめ、などなど。
こうした諸々の知識とは異なり、本講義が伝える「読み」の技術や態度は、一生使える・極めて汎用性の高いものであり、西洋哲学に限らず他の分野にも有効です。
どういう方向けかと言えば、
・なんとなく興味があるものの、難解なイメージが先行してなかなか踏み出せないという方、
・自分で読んでみたけれども歯が立たなかったという方、
・単なる学説のまとめ・哲学小ネタでは満足できない気持ちがある方、
に、特に強く推奨される講義となります。
学説のまとめならば(信憑性の高低はともかく)あちこちに転がっていますが、それで満足できない、しかし哲学書に自ら入っていくためのとっかかりがない、という方にとっては、垂涎の内容となることでしょう。
■語る資格
プロフィールにあります通り、私自身は国内外の大学院で西洋哲学・思想史10年以上学んできました。
もともと極度の怠け者ですし、周りにしばしば見られる優れた人々とは異なり、天性の才能など一切持ちません。それゆえ、初めから難解な哲学書をスラスラ読めたわけではありません(もちろん今も「スラスラ」読むわけではありませんし、重要な書物はゆっくり読む必要があります)。
私の「読み方」は、経歴の中でいろいろと試行錯誤しながら開発したものです。
学術的分野に限らず、どのような職業分野であれ、誰もが自らの方法論を持っています。哲学テクストを読むということにかけても同様です。が、私がカンの良い人たち・何も意識しなくても方法論を習得できた人たちと少し違うのは、周囲の方々の読み方に着目しつつ、いちいち読むための方法論を言語化して血肉化していたということです。
ときには、優れた研究者が書いた論文や研究書から「リバースエンジニアリング」を行なうこともありました。あるいは知人と一緒にテクストを読む機会を重ねることで、読みの手付きを学ぶこともありました。フランスの大学への複数回の留学も経て、日本で伝えられているものとは多少異なる方法論からおおいに取り入れるべきものを見つけました。こうした経験の中で得られた知見を、私は逐一言語化してきました。
カンのいい人は、このような仕方で方法・読み方を意識する必要がありません。やり方を考えるまでもなく読める、ということです。そうした人々とは異なり、私は意識し、言語化しなければ、必要な態度を上手く涵養することができませんでした。逆に言えば、読めなかった人が読めるようになるための経路を知っている・その経路に意識を向けつづけているということであり、この点においてこそ、(単に「読める」カンのよい人々よりも明確なかたちで)皆さんにごくまっとうな「読み方」をお伝えする資格を持っていると自負しています。
補足として、方法論という問題に向き合ってきた成果の一端を書き記しておきます。
——たとえば、ちょっと興味を持って読みはじめた分野で論文を書いたところ、数週間で読んで書いたものであるにも拘らず、国内最大規模の学会誌に査読を経て掲載されました。
——たとえば、フランス語ネイティヴに混じってフランス語で書き、ストラスブール大学哲学科に提出した修士論文は、20点満点中19点という最優秀の評価を得ました。修士論文以外の成績も良好で、授業では基本的に複数の著者・著作の内容を素早く理解し、それを前提に20ページくらいの論文を書く、という作業を結構な回数こなすのですが、全体の成績も優(très bien)で、おそらく首席です。
こうした成果は、少なくとも一定程度、私が考え・実践してきた「読み」の方法論が適切であることを示している、と言えるのではないでしょうか。
こうした経歴を支える、あるいはその中で意識的に培ってきた「読み」の技術の核となる部分を、非専門家(=あなた)にもわかりやすく伝えるのが、今回の講義です。
あなたがご自身の知性に自信をお持ちだとしても、あるいは寧ろ劣等感をお持ちであるとしても、「ある程度難しい文章を読む」という目的を共有しているのであれば、この講義は哲学テクストを読むことに限らず、あなたが日常的に行う「読み」を盤石なものにするために役立つことでしょう。
読みとられた学説の内容をまとめる・説明するコンテンツは多いものの、「読み方」にアプローチしようとするコンテンツは実に少ないのですから、この講義の意義もまた小さなものではない、と自負しています。
■まっとうなものを、率直に伝えます
価値のある能力や態度は、そう簡単には身につきません。たやすく身につくものは、だいたい波及効果の小さいものです。知的な意味で目線の高い皆さんはこのことをご存知のはずです。
たとえば、まっとうに英語学習を行おうとするときには、「〇週間でペラペラ!」「楽して〜」のような、「努力を要さない」ことを謳い、「手を抜く」ことを最優先課題とするコンテンツを真っ先に排除せねばならない、そうしたコンテンツは短期的な成果すらもまともにもたらさないことがある、ということは皆さんもよくおわかりのことでしょう。
「哲学テクストを読む」という技能についても同じことが言えます。この講義の内容は、読みの現場で実践されて初めて意味を持ちます。講義を全て見終えた瞬間に何でも読めるようになる、ということはありえません。数学の授業を聞いた後に演習問題を解かなければ問題を解けるようにならず、座学だけでは自転車に乗れるようにはならない、ということに似ています。
この講義は、哲学テクストを含む一定程度難解な書物を読めるようになるために必要な、現実的な態度や方法論をお伝えするものであり、無根拠かつ軽薄な希望をお渡しするものではありません。この講義がお伝えするのは「ふつう」の、「まっとう」な方法論です。これまで読めなかった人が一瞬で読めるようになるわけではありませんし、小手先の読み方を調整するだけですぐに読めるということも、もちろんありえません。ともすれば「辛気臭い」努力が必要です。「まっとう」であるとはそういうことです。そして、こうした「まっとう」な道を歩いてさえいれば、途中で旅路を終えるとしても、得られるものはとても多いものです。つまり、哲学テクストを読む、ということを結果として日常に組み込まないとしても、果実は得られることでしょう。
こうした事情から、何かしらミラクルを求めている方は、この講義をご覧になってもあまり多くのものを得ることはないでしょう。
しかし、どこまでも現実的な、まっとうな、着実・確実な方法を求める方にとって、この講義は極めて有意義なものになっている、と考えています。一定の努力は必要になるということを前提したうえで、その努力の出発地点、及び方向性として概ね適切なものをお渡しすることで、努力の効率をブーストする効果を持つ、ということです。
哲学テクストを読むことを戦いに例えるのであれば、この講義は武具や防具として機能することでしょう。戦場に歩み出す際に、兵士に適切な武器や防具を持たせないとすれば、敗北は必死です。同じように、哲学テクストを読むにしても、適切な「武装」が必要であり、こうした「武装」を買えるとすれば、時間や余計な労力をおおいに節約することができるはずです。この講義は、そうした「武装」としてほとんど本邦初のものです。しかも、見た目ばかり派手で役に立たないキラキラ安ピカの装飾性に満ちた武装ではなく、戦場において使えることがわかっている、実践=実戦に用いうる武装です。
……こうした点、つまり「努力は必要です」「地味です」などと——売上を減ずることになりうることを見越して——言ってしまう点も含め、この講義は、変に取り繕わずに、本音べースで、ともすると露悪的に見えるほど率直に話すことを大切にしています。
もちろんキレイに「ガワ」を整える(=立派な服装をする、美しく動画編集をする、受講者を必要以上におだてる)こともできなくはないのですが、それではどこかウソであり、虚飾です。私は単にウソをつきたくありませんし、寧ろ、率直な内容を提示しようとするときにしぜんに採用される形式や見かけこそが重要だと考えています。本物(を目指す)とはそういうことであると考えています。
率直さのまた別の帰結として、哲学テクストの読み方にとどまらず、読み方を私が言語化し身につける過程で触れざるをえなかったいくつかの哲学的問題(主に権威の問題)や、私が一定期間所属してきた人文系のアカデミアの内情——これは一定の秘匿性があるものです——、フランスの哲学教育への言及も、講義に含まれることになります。これがタイトルにある「+α」です。
もちろん、この講義の主たる関心は哲学テクストを読むための方法論をお伝えすることですが、付随的に語られるこうした事柄に興味をお持ちの方々のニーズも満たすことができるかもしれません。
■音源の配布
セクション5「余白に(コラム集)」の末尾のレクチャーの「リソース」として、(動画なしの)音源ファイルを添付いたします(mp3ファイル)。演習ファイルについては、演習ファイルに相当するセクションの最後のレクチャーに音源を付しています。
動画は文字資料をお見せできる点で効果的ですが、画面に集中する必要があります。これに対して音源であれば、スマホに放り込めば、好きなタイミングで簡単に聴くことができます。通勤通学の途中に、家事をしながらでも聞くことができます。つまりストレスを小さく抑えながら、繰り返し学習することができます。
(……無論、音源の無断再配布等は禁止され、発覚した場合にはUdemy経由でそれなりの対応が図られることになります。)
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皆様のご受講を心よりお待ちしております。