
★コース「マッピング日本史」(vol.1~3)の続編
当コースではマッピング日本史vol.4・vol.5が対象となる(vol.5で完結)
★大昔の時代をさらに深堀していく
石器時代の側からみたときの「新石器時代」は 土器の時代からは「縄文時代」と重なる理由などが語られる
大和時代に花開く、前方後円墳とは。飛鳥時代に氏姓制度の支配層であった蘇我氏による、仏教の導入。その氏姓制度に立ち向かった聖徳太子と冠位十二階についてなどが語られる。
大化の改新を中心に語られる。皇族・中大兄皇子と一般貴族の中臣鎌足が起こした、後世に最も影響を与えたこの政治改革の背景とは。「大昔の時代」から「貴族の時代」への変転はどのように進行していったか。隋から学んだ先進システムを次々導入する中で、中心人物達が退場したあとに起こった壬申の乱。果たして改革は停滞するのか、それとも進展していくのか。大陸に憧れ改革に燃える人達の魂は、次の代へと受け継がれていくのだろうか。
この国の背骨「律令」を完成させた、朝廷。当時の「世界」・唐から認められる国になれるよう努力をする貴族達、一方でその施行が思うようにいかない悩みも持つ。現実と理想との間に生まれ始めたギャップ。それを埋めるために、奈良は大計画「百万町歩の開墾計画」を立てるのだが・・・
飛鳥時代に輸入された仏教が、この時代には特権階級のブームのみならず市民へと広がってゆく。朝廷は各国に官寺を立てる法令を発布し、その総本山を都の東大寺に定め「奈良の大仏」を建立する。東アジアの大国・唐への憧れと、そのガラスを通して見える、印度やペルシャ。それらを国庫に納めてゆく朝廷。
国の背骨・律令を支えようという力と、崩れていく力とが拮抗し、やがて崩れる方向が決定的となっていく。しかし先人達の努力が実ってきたこの時代、舞台上は華やかな貴族文化が花開いている。現実と理想との間で揺れ動く官僚、その上で優雅に舞う貴族達。ギャップが産み落としていく摂関、院政などの令外の政治。しかし舞台下の腐食はとどまることなく、やがて現実の陽の元にあきらかになっていく。世の軋みが誰の肌にも伝わるようになった頃、その混乱を収める可能性は皇室や藤原家ら上層貴族にではなく、彼らの命により動いた軍事貴族に握られつつあった。
律令規律を度外視した令外政治のツケがいよいよ押し寄せてきているにも関わらず、自らの襟を正そうとせずその場しのぎの朝廷殿上。代わって部下の軍事貴族に問題解決を代行させるうちに、政争天下は彼ら次第になってゆく。こうして朝廷が軍事貴族・平家のものになりかかると、それを一掃するために軍事貴族・源氏一族を頼るようになる上皇政権。「律令上の」朝廷が平家と共に「都落ち」し、都に届かる「令外の」院に権威権力が存在する混乱を収めていったのが、鎌倉の源頼朝だったのである。
初の武家政権・幕府を立ち上げ混乱から平和を導いた、源頼朝が不慮の事故で突然消えた。日本の治安を代行管理する幕府は、今やこの世になくてはならないものだった。頼朝亡き後を支えたのは、元は伊豆の地方豪族に過ぎなかった北条家だった。幕府壊滅を狙った京都朝廷の試みは民衆の支持を得ず、かえって幕府権力増長と朝廷の修飾品化を進めることとなった。続いて朝廷以上の敵・世界最強のモンゴルを相手に一歩も退かぬ北条政権は、その快挙のあとに待っていた湧き返る病巣的諸問題を解決できず、稀なる不屈の天皇登場によって終止符が打たれた。
希代の天皇により奇跡の幕府消滅がなされたあと。世の中の混乱は収まるどころか、さらに増すばかりだった。反天皇一派が分裂、頭の足利家は京都の朝廷から将軍に任命される。本家はこちらだと主張する吉野朝廷との間で引き継がれる混乱の南北朝時代の中、室町武家政権は始まっていた。自らの陣営へ引き込むために示す魅力的な条件などが合い成って、混乱が収まったあとの京都幕府は守護大名のパワーバランスの上に立つという不安定な構造物となった。
幕府政権は将軍を頭にしつつも、有力守護大名によって運営されていた。将軍の跡継ぎ争いから始まる有力守護大名の対立。それに続く、首都での長期戦乱・応仁の乱。首都機能の止まった日本は統率を欠き、戦国時代を導く。幕府権威の墜落は守護大名の権威低下に続き、守護代を中心とした地元層有力者による自治者・戦国大名の登場を招く。
もやは全国をまとめる政権のなくなった戦国の世。この中から勝ち上がってきたのが、最強の戦国大名・織田信長。下剋上の風潮漂うこの時代、幕府の地である京都から将軍を追放する信長。幕府再興をもくろむ野に放たれた将軍の思いを無視するかのように、時代はこの無双の武士・尾張のうつけ者を中心に構築されつつあるのだった。
下剋上の時代。部下の明智に殺された信長、明智を誅した秀吉。全国統一事業を受け継ぎ完成させる関白秀吉は、太閤になったあとも戦国時代に無規格となった世に秩序をつくろうとする。続いて首都を京都から明の北京へ遷そうと、大陸へ侵略戦争を始め失敗する。
長い戦国の世に終止符を打った、太閤秀吉。彼が亡くなった後、もと織田信長の同盟大名・徳川家康が台頭する。豊臣方に与する石田光成との「天下分け目の関ケ原」を勝ち抜き、秀吉の命により越した関東後北条領の寒村小城・江戸を発展させるもとをつくる。織豊政権とは異なり海外諸国特にキリスト教に対する考えを明確にし、今後の礎となる法整備なども行う。
開祖・家康とその関係者・後継者によってしっかりと築かれた社会システムの上で、ようやくあらわれた平和。戦う必要のなくなった官僚化した武士は、武のみならず儒学的な文をも鍛えることを奨励される。戦国の世が彼方へと離れていくこの時代、人殺しはもちろん動物愛護までも求められるようになる。そんな中で財政はひそかに傾き始め、その兆候を改めるための対策まで打ち始めるのだが・・・
安定期の縁の下を徐々に蝕んでいた財政難は、ついに幕府運営にも影響を及ぼすほどとなる。享保の改革による質素倹約政策は農民を傷めつけつつ成功半ばとなる。続く田沼時代は財を持つ商人をそのあてとする。寛政の改革により再び質素倹約政策となるが、どの改革も反対勢力の力により貫徹せず。どうしようもなくなり天保の改革へ。しかしこれも頓挫していく。
江戸開府の頃とはすっかり状況が変わった時代。欧米列強が現れ産業革命が進行している。一方の幕府は改革できなかった。成立の頃に交わした鎖国政策は事実上維持できなくなる。諸大名をまとめきれなくなり朝廷の声も聞かざるを得なくなった時代の幕府の様相を語る。
黒船の来航はこの国を大きく揺さぶる。幕府・諸大名・朝廷、そしてそれぞれの中での意見の分裂。尊王攘夷論と、清を倒した列強の実力。幕府大老は、開国の決断をする。
開国をした幕府は、尊攘雄藩や朝廷の力で尊王攘夷を雄藩に指示せざるを得なくなる。実行した薩長は、尊王攘夷が不可能であることを肌で知る。ぐらつく幕府と、尊王倒幕へ舵を切った雄藩連合。将軍は大政奉還を朝廷に申請し受理されるも、最後は戊辰戦争によって決着がつく。
およそ700年続いた武家時代を改め、政治・文化に西洋文明を積極的に取り入れていく時代。大名の版籍は新政府に吸収統一となる。続いて起こった廃藩により、旧有権者は時に流されることになる。変化の時代を当時の人達はいかに決断し生きたかを辿る。四民平等の波紋は秩禄処分に届き波紋を拡げる。欧米に「追いつけ追い越せ」の富国強兵政策についても詳しく語られる。
自由民権運動の本質は 政府に国会と憲法を求めた運動。建白書は同盟へ、さらに政党へと成長。いよいよ立憲国家が完成し、天皇を首長とした、内閣、議会の三権分立なる。政権の中枢は江戸時代を終焉に持って行った雄藩出身者が占める。
帝国主義の時代。列強は地球を分割する様相となる。植民地化されるかつくるかという世界的背景のもと、東アジアでは朝鮮半島が清と日本の間で争われた。勝者日本はこのあと、中国満州地方や朝鮮半島に触手を伸ばそうとしているロシアと戦うこととなる。ヨーロッパではバルカン半島を震源地とする抗争が世界大戦へと拡大。日英同盟の旗の元、英国の敵・ドイツが権益を持つ中国の地方を日本に引き継がせる。清露を退けた日本は中国東北地方に満州国を建国。中満国境付近での紛争が拡大し、それが日中戦争へ。国連を脱退し枢軸国の一員の日本はアメリカとの太平洋戦争へ。2発の原子力爆弾を国内に被災し、軍国主義内閣はポツダム宣言をついに受諾、戦争の時代は終結へと向かう。
日本の敗戦により第二次世界大戦も終結する。我が国は連合国軍に占領を受ける。世界は資本主義のアメリカ・社会主義のソ連が競いいがみ合う冷戦がはじまり、朝鮮半島はその影響で戦場となる。無条件降伏を受け入れた日本はアメリカのいいなりに軍事力を持たない平和憲法を作ったばかりだったが、そのアメリカは日本に軍事力を期待するようになる。自衛隊が誕生する。
アメリカを盟主とする資本主義陣営と、ソ連を盟主とする社会主義陣営の、冷戦。資本主義、社会主義についての概略解説。資本主義の欠点と言われる景気の変動を抑えることを旨とする、計画経済のソ連陣営。自由な発言を拒まれる、一党独裁の社会主義側。西ドイツ・東ドイツ、北ベトナム・南ベトナム、北朝鮮・韓国などの、冷戦によって生まれた国家分断。いよいよ社会主義が立ち行かなくなったソ連はペレストロイカのあと、アメリカと共に冷戦を終結する。その後、崩壊。一方、日本はバブル時代を迎えたが、その後崩壊し長期の経済低迷期を迎える。
vol.5に入り いよいよ本格的な日本史の解説となる。弥生時代の稲作文化は大陸からやってきた。農業技術そのものはメソポタミアを起源とする説があることの紹介。竪穴式と掘立高床式の建築様式の違い。やがて倭に国家群が存在することが後漢書や魏志など中国の書物に登場する。卑弥呼と邪馬台国、邪馬台国と大和朝廷との繋がりについての考察。
氏姓制度=家職について。歴史学では氏姓制度という「指し名」こそこの当時を指しても、その本質は貴族制を支え続け、江戸時代まで続いたことについて。大化改新による公地公民、それにより戸籍作成が合法化され、口分田受給による班田収授のしくみを導入する。これらも含めて、この大政治改革の目玉は国家の律令化であった。
百万町歩開墾計画の具体的施行として現れた特例法「三世一身法」。この法でも実効力が甘いとなったとき、奈良朝廷はこれを無限に拡大した「墾田永年私財法」を発布。これは禁断の果実だった。この法により生まれた私有地「荘園」の出現は、日本の背骨「律令」の基礎的考え「公地」に矛盾を植えることとなる。
律令そのものに内在する問題点。朝廷は”全国民”の人数のみならず年齢・性別まで全て把握しなければ、班田収授を正確になすことはできない。ここに加えて墾田永年私財法が産んだ荘園という、律令公地制の矛盾。さらに「実情・現状」と、中国輸入の律令という「理想」との間に生まれたヒビの間を埋めるための格式・令外官の大量発生……さらに上級貴族の多くが公よりも私を優先する姿勢。これらにより律令制度はどんどん崩れていった。形式から離脱した生きた実体がうごめく物語。
平安朝廷の文化が花開く摂関政治の時代。しかしその最盛期に突然終焉を迎え、時代は院政期へと移る。律令に束縛されない上皇と、日本の律令国王・天皇。形式からどんどん離脱する現状は、律令を古びた過去のものにしていく。上皇の近臣から平家政権が生まれた。
平家を倒した源氏が権力を掌握。その中心人物・源頼朝は京都に留まらず、鎌倉から家来を使って守護・地頭を任命する権利を得る。結果、大きな政治全般を朝廷が、警察・治安部門は幕府がアウトソーシング受諾することとなる。頼朝の死の後は執権・北条家が幕府の運営中心となる。朝廷の挑戦を受けた北条幕府を退けたことで、幕府は日本の政治中枢に確定する。武家の発生と実体についての詳細。御成敗式目は律令のような大陸輸入の上からの法ではなく、地に足の着いた慣例を法規にしたもの。元寇を迎え撃ったのは幕府であるが、こののち幕府は統制力を弱め、後醍醐天皇の出現で終止符を打つ。
室町時代の構造的説明。南北朝時代を経過したために生まれた、将軍・守護大名制。幕府が崩れ始めた戦国期には、そこに頼り存続してきた朝廷は困窮となる。下剋上の風潮は将軍権威が管領家、さらにその家臣へと「天下持ち回り」へ。これは徳川時代に終焉するまで続く。戦国大名の分国法はのちの江戸政権の組織図に影響を与える。
鎌倉時代がおよそ130年、室町時代が大体240年。安土桃山時代はわずか30年程度という時空間感覚をもつべき。織田・豊臣・徳川へのこれまでの流れの確認がなされる。
徳川の時代が到来すると、いよいよ戦国期が完全に終了する。伴い、「戦国大名」は「大名」となる。時代の分水嶺となる関ケ原合戦により、大名は譜代と外様に分類される。長期政権の礎となった法規はそれぞれ農民向け、武家向け、皇宮貴族向けを出した その詳しい意味について。徳川直属の旗本・御家人について、そして鎌倉時代の「御家人」との用語の違いについて。「禁中」「公家」などの用語から法度「=法規」の意味を解説。形式と実体の揃わない日本の歴史の深さについてなど。
日本に久々の長期平和が訪れると、戦いが消え動物愛護令まで出るようになる。一方で財政は浪費気味となり、長崎貿易では銀の流出が激しく、貨幣経済は貧富の差が拡大した。幕府は将軍の儒学講師を顧問に招き正徳の治が来る。
財政難の問題を解消するために、改革が進められた時代について。吉宗将軍は農民に増税をする一方で武家に質素倹約を求めた。田沼老中は財を持つ商人階級から税を取ろうと考えた。このときの冥加金は現代にも通じるシステムである。松平老中は吉宗将軍の孫であり将軍改革を見本とした。だが、享保の頃よりも現状はひどくなっていた。水野老中の頃には改革は待ったなしであった。だがほとんどどれもが反対勢力により押しつぶされてしまった。結果として課題は悪化し置き去りにされていった。
幕府のリーダー力は減退し、雄藩および朝廷の声を無視できなくなる。一方で雄藩は尊王攘夷は不可能であると体感していき、スローガンは尊王倒幕へと変化する。時代の波が大きな変転を迎える時代について語る。
明治維新とは700年続いた武家社会を、新たな師である西洋式社会へ転換を図る時代であった。士族階級と平民階級の差をなくす四民平等方針のもと、政府は士族の秩禄処分を断行した。士族の中にはこの変化にうまく対応できず反乱が起きた。これを抑えたのは政府の平民徴兵軍であった。これも西南戦争を境に収束へ向かう。
自由民権運動は政府へ立憲政治への動きを圧力した。一方、議院内閣制が生まれる前より政党が生まれた。板垣の自由党、大隈の立憲改進党があり、後者は現在の早稲田大学の元を作った。両者はのちに隈板内閣にて協力関係となる。
内閣・憲法・国会の成立により、日本は西欧的な衆議院を持つ体制となる。憲法作成の際に参考にしたプロイセンについての解説。憲法立ち上げ準備には単に憲法を書けばいいわけではなく、国民教育も関わってくる。当時の民主主義と選挙権について。内閣組成の流れ。倒幕主体の藩閥、システムが定着し始めると政党主体、戦争の時代になると政党は全解党され軍部内閣へ。
日清・日露戦争は主に朝鮮半島を巡る争いであった。第一次世界大戦はバルカン半島から始まった。バルカン地域の複雑な状況を、歴史・民族・宗教方面から解説。汎ゲルマン主義vs汎スラブ主義、大国同士の同盟関係など、第一次大戦の歴史的背景を解説。敗戦国汎ゲルマンの言説を超えた賠償金とハイパーインフレ、世界恐慌などが引き金となりナチス政権成る。満州国を立てた日本と日中戦争、日本に対峙する中国の内戦と国共合作、日中戦争遂行中に太平洋戦争を仕掛ける日本。米国に敗戦することにより戦争の時代が終わる。
太平洋戦争の無条件降伏と、GHQの占領。その主体は実質的にアメリカであった。無条件であるがゆえの軍事力を持たない平和憲法作成と、朝鮮戦争勃発によるアメリカ側の軍事力への期待による自衛隊の創設、それに伴う矛盾に憲法解釈で対応する政府。
世界は資本主義の首都・ワシントンと社会主義の首都・モスクワで決まると言われるほどになる。ではなぜ経済運営の主義が対立の原因になるのかの考察。大局的な見方が必ずしも本質を突いているとは言えないことについて。純粋資本主義の国が存在しないのと同様、純粋社会主義(=共産主義)の国も存在しなかった。景気浮揚がかつてよりも難しくなっている理由について。国債発行と創成財の景気効率について。歴史は論理的結末であるが、だからといって未来を一面的に答えるものにはなり得ないことについて。バブル景気と崩壊の概要と金融ビックバンについて。世界の実体経済比率低下についてなど。
バブル景気の発生とその崩壊について、そしてその後の日本についての物語。
vol.1から始まりここまでおよそ10時間、らせん型に深めてきた 過去から今日までの物語最終回。マッピング日本史誕生の背景。最後に 歴史の本質について ここまでご覧になられた視聴者の皆様におくる。
「歴史の勉強は暗記だ」と考えている方、暗記は苦手で歴史は嫌いだという方へ。このコースでは丸暗記ではない、理解型学習「マッピング日本史」のご紹介です。きっと、歴史の見方・見え方が全く変わることでしょう。そして「どうしてこんな勉強法がこれまでなかったのか」「この勉強法こそ、全ての人が歴史を学び始めるときに使うべき方法だ」と、思われることでしょう。
* 当講座は「マッピング日本史」を受講した方が対象です。前講座からの学びをより深め、当講座で完結します。
* 当コースは「マッピング日本史」の復習も含みますので、前講座を完全に学び終えていなくても学習できます