
★「マッピング日本史」とは何かの説明。
「マッピング日本史」とは、通常とは真逆の「全体像」から「細部」へと学ぶ、歴史の新しい学習法。「暗記型」の歴史学習から脱却し、「理解型」へ変えていきます。とても楽しい旅路となることでしょう。
これから楽しく学んでいくための基礎になる話がたくさん入っているので、お見逃しなく。
★日本史マップの書き写し方
ここで書き方の説明が入りますが、ただ楽しく教養をつけていきたい方はレクチャーを聴くだけで結構です。
★その他
☆マッピングテキストに書かれた数字について
数字は年号だが、あえて「おおよそ」の数字となっている。暗記のためではなく、大体の時空間感覚を味わうために書かれている。
☆日本史マップのvol.番号について
volume (略してvol.) ごとに大昔から現代まで歴史が一巡する。当講座ではvol.1~3まで扱う(3回繰り返し日本の歴史が繰り返されることになる)。vol.の数が小さいときに大雑把な話、大きくなるにつれ細かい話になっていく。
マッピング日本史を続けるうえでの、大切な初めの一歩。日本の歴史は4つしかない。学校式に細かく歴史を学んできた私達にとって、これはピンとこない話かもしれません。しかし、これこそ日本史の基礎になる、驚くほど単純で、かつ重要な話になる。
前回の講座で話された、歴史の4区分。いよいよ最初の大昔の話の始まり。大昔とはいったい、いつからいつまでのことでしょう。この講座ではっきりさせていく。
このレクチャーではまず、大昔の時代・貴族の時代・武士の時代・東京の時代を明確にしつつ、貴族とは誰か、武士とは誰かをお話しする。それを元に、朝廷を定義します。さらに、貴族の時代が朝廷の時代であることまで明らかにしていく。
前回の話に続いて、幕府を定義する。さらに、武士の時代は幕府の時代であることを明らかにする。後半の東京の時代では、政府とは何かをお話しする。
前回の話に続き、大きな政治の話です。朝廷・幕府・政府について詳しくしていく。朝廷の責任者・幕府の責任者・政府の責任者を明らかにすることで、それぞれの組織の大きな構造を明らかにしていく。武士の時代は幕府の時代と言えるだけでなく、将軍の時代ということもできることが明らかにされる。貴族・東京の時代もそれぞれ同様な考え方を応用することができる。
vol.1の話を発展させ、大昔の時代を二つに分けていく。この時代は当時の先端技術で区分。貴族の時代はvol.1で身に付けた知識を元に、「朝廷」の場所によって時代区分がされていることが明らかにされる。
vol.1の基礎を発展させる。vol.1で定義された幕府の位置により時代区分がされていることが明らかにされる。特に、幕府の場所として分かりづらい室町について、室町幕府は”京都幕府”であることが明らかにされる。また、安土桃山時代が”安土桃山幕府”と言わない理由についても解説していく。
「武士の時代」を終えた頃。タイムマシンで「明治維新の時代」に行って、当の時代の人にインタビューするとどうなるか? この時代を西暦何年から何年までと区分することができないことが語られる。この時代の流れで生まれた自由民権運動がなぜ、どのように生まれたか、一体何を意味した時代なのかについて明らかにされる。
自由民権運動の流れから、いよいよ政治システムが欧米列強と肩を並べるようになる、立憲政治の時代が生まれる。憲法準備までの10年というのは短かったのか? 長かったのか? 現代の私達にはピンとことない時代感覚を、当時の状況に入り込むことで体感していきます。その後、列強主導の帝国主義争いが生んだ戦争の時代について語られる。私達の国がどのように巻き込まれ、また主人公の一つとして頭角を現していったかについて語られる。それに合わせて民主政治から軍国主義となった経緯。戦争が終わることで政治思想も劇的に変化したことも語られる。
vol.2の話をさらに深めていく。石器時代・土器の時代をそれぞれ前半と後半に分ける。歴史の構造を知り理解を深めることで、比喩的に言えば無味乾燥な暗記歴史を頭の中から追放していく。
vol.2の話を発展。歴史区分であいまいになりがちな「古墳時代」「大和時代」がどういう構造になっているかが明らかになる。貴族とは誰か、その中にもまた上下があること、朝廷の家職による統治制度が取られたことも語られる。氏姓制度が基本的に家職制度であること、「地位」や「役割」が混合した制度であること、家職とは何かについても明確になる。なぜ貴族の中に地位区分が必要になるか、それが氏姓制度として統合されていることも語られる。
氏姓制度の中から、どのような経緯で蘇我氏が頭角をあらわしていくかが語られる。戦いの氏・物部氏と蘇我氏の対決。教科書には決して現れない、日本史を支える重大な意味が明らかにされる。朝廷の宗教・文化・政治・貿易政策がどのように決まっていったか、どのような過程で取り入れられていったか、その実態などが、仏教と蘇我氏を軸に明らかにされる。蘇我氏を親戚に持つ皇室の厩戸皇子が、最後に登場。
聖徳太子の死後、蘇我氏の利害中心による政治に戻ってしまった朝廷。皇室の皇子と一般貴族の中臣氏は、二人で政治改革を志す。いわゆる「大化改新」が起こるまでの経過を、推測も交えて解説。大化改新が目指した目玉が律令国家であること、律令とは何かについて解説。また、日本国がどのような経緯で成立していったかの過程を語る。改新政治の立役者が去ったあとの日本が、どのように変化していくかも描写。
この国の最高法規である、律令について。きちんと守られてきた部分と、守られなかった部分について。守られない部分は、どうしてそうなったかについて、詳細に話していく。
律令がいかにほころび始めたかについて語られる。時代を問わず今も昔も利害関係が、人の社会を大きく左右しているさまが語られる。税を触媒にした民衆と支配者の攻防。一見見落としがちな、支配する側に立ったときの苦悩と対策。民衆に食を与え、朝廷が税を得て国を支配していくための、奈良朝廷が取った方策とは。
飛鳥時代に取り入れた仏教の小さな種が、奈良には仏教ブームとして至る所に花が咲き始める。これを統治に色濃く反映させはじめたこの時代、民衆の地域にも国立の寺が建ち始める。これらの元である、先進国・唐への憧れ。我が国は積極的に文化を吸収する具体策を打っていく。
仏教が貴族階級を支配しはじめることで、それが最高法規・律令の機能を阻害するに加担するようになる。このしがらみを解こうとし、政教分離政策を推進した桓武天皇による、京都への遷都。にもかかわらず、どうして国立寺の総本山・東大寺が奈良から動かなかったのか?動かす計画くらいならばあったのか? そのあたりが明かされます。桓武天皇らによる律令立て直しの動きにも関わらず、このあと全体の流れは腐敗の方角へ。摂関政治。どのような理由で、どのような過程で最高法規が形骸化していくのか、語りはじめる。
法規や規律が崩れていく一方で、宮廷が栄えていく不可解な現象。国が栄えることよりも、自らが豊かになることを選択していく支配者の群像。律令に規定のない役職が次々現れる中で、天皇を凌駕する権威権力を持つ、隠居したはずの天皇である、上皇の時代が来る。組織は肥大化し非効率化へ向かい、地方政治は丸投げ、各地の治安の乱れ。それも軍事を家職とする貴族に丸投げしていく政権。もとは天皇家の流れをくむ、軍事貴族の源氏と平氏がいよいよ登場。貴族時代の終焉を予感させる源平合戦と、その勝者・平氏のふるまい。
ひな人形は平安時代の装束を元にしています。十二単の優雅な衣装、源氏物語や香をたしなむ、高い文化性。朝廷内が最も栄えた平安時代。しかし同じ時代の後半には、朝廷の統治が破たんの様相が見えてくる。律令が形骸化を進めていき、国が乱れていく中で、どうして朝廷は最後にして最高の輝きをみせることができたのかについての、回答をします。
日本史上初になる、「天皇と朝廷」の都落ち。にも拘わらず、都では上皇が権力をふるい続ける。そんな異形の表層を動かしているのは、武家と呼ばれるようになる平家と源氏の軍事貴族勢力。「朝廷の都落ち」の実態は平家の都落ち。追い落としたのは上皇ではなく、源氏勢力の旭将軍・源義仲。ところが・・・源氏勢力も、一枚岩とは程遠かった。
平家を都落ちさせた源義仲を、同じ源氏姓の源頼朝軍が、都から追い落とす。そんな中、平家は瀬戸内海で軍勢を立て直し始める。軍の中心である弟・源義経の大活躍は、ついに本州最西端で平家の滅亡を果たす。このあと朝廷の思惑も絡み、頼朝・義経の兄弟争いへと発展してしまう。
将来を見越したシステムづくりに専念していく源頼朝。源平合戦の兵力確保のために家来を登録する侍所開設。一方で怠慢な政治を続けてきた朝廷の膿。頼朝は上皇から治安維持の警察権を受け取り、侍所で所管する自らのスタッフを使って朝廷のある部分の政治を補完していくようになる。これが、のちに幕府と言われる組織となっていく。
これまで存在したことのない、幕府という組織を中心で創り上げた、源頼朝の急死。生まれたばかりの軍事組織は、非常時代に陥る。地方豪族に過ぎなかった頼朝の妻の実家・北条家が歴史の表舞台に登場していく。幕府維持に苦戦する御家人、そしてその筆頭となっていく北条家の葛藤。
私達がこの当時の「マッピング」の位置に立つと、大昔-貴族、のあとに生まれたばかりの-武士 があるのみ。部下であるはずの侍達が中央である朝廷と補完して政治をしている異形。しかも、政治に無関心な民衆は治安がよければ、上がどういう組織であっても構わない。民衆は幕府に信頼を寄せ始めていた。将軍暗殺問題で揺れる幕府、朝廷はとどめを指そうとする。天皇ではない最高権力者を持つ朝廷側は、院宣による幕府解体命令を出す。形式的にはトップでないのみならず、地方豪族に過ぎない北条家が大黒柱となって支える幕府。院宣の矢は北条氏に向けられる。形式や因習を優先する朝廷側と、簡素で実質的な幕府側。幕府側の対応は素早い行動で、武士の時代を切り開く。
朝廷の律令はすでに形骸化して久しく、その大半は識者の教養となっていた。一方で、武士の下層中心とは、地方豪族であった。大陸から知識として輸入した律令と、生活の中から風土として生まれた慣習法には差があった。幕府は慣習法をまとめて均質化し、まとめる賢者の役を担う必要に迫られた。朝廷に変わって日本を支配していく幕府が、必要な道を辿っていく過程を紹介。
朝廷を撃破し、国内最有力のグループとなった、幕府。ところが、朝廷以上に強力な組織に狙われることになる。ソビエト連邦と並ぶ、世界最高領域を得たモンゴル帝国の本家・元による攻撃。それを救ったのは、幕府・御家人の努力と神の力……台風であった。最高の国難を克服した幕府に待っていたのは、楽園とは程遠い世の中であった。経済の混乱と衰弱、公平の原則の瓦解、悪党の暗躍‥‥…善政を謡われていた北条政治もいよいよ腐敗にうなされるときが来た。
今や権力をすっかり失い、過去が作った権威のみが頼りとなった朝廷。国難に見舞われ、どんどん閉塞感にうなされるようになりゆく世の中。信頼を失う一方でありつつ国内最強組織である幕府・北条家への失望は、異形の天皇の登場により有形無形の形となっていく。島流しの終身刑となった、不屈の天皇。島を抜け出し、ついに幕府滅亡の命令を出す。勝ち目がないと思われた時代が、いよいよ天皇に味方する時がくる。
武士の時代を終焉させ、貴族の時代に戻そうとする後醍醐天皇。ただ、武家支配に百年以上を費やしたあとでは、貴族の時代を実体験した人はこの世に誰もいなかった。武家の因習で秩序立てられている世の中に、理想的で幻想的でさえある現実離れした律令政治を復活させようとする天皇の政治は多くの人を失望させた。北条家亡きあと最強たる足利軍の離反と対立。京都を軍事占領された天皇は蒸発、やがて吉野の山奥に降臨。足利側が支える京都の北朝と、後醍醐天皇による吉野の南朝による、60年にもおよぶ戦争の時代を描く。
約60年にも及んだ南北朝の戦乱を超え、世はいよいよ室町幕府が支配する時代となる。実質的には京都幕府となるこの政権は、地方政権にも権力があるという、南北朝時代の負の遺産を背負っていた。幕府の内輪揉めから始まった応仁の乱は首都の混乱を生み、それは全国の混乱を誘発していく。幕府は統率力を失い、近畿地方の一政権に成りさがる。地方は戦国大名と呼ばれるようになる地方政権、政権どうしの争いとなる戦国時代へ。形骸化した幕府は、戦国大名・織田信長により解体のときを迎える。
室町幕府支配は復活することなく、織田信長から始まった全国統一事業は、部下・豊臣秀吉へと受け継がれた。日本の支配者となった秀吉は日本の首都を京都から北京へ遷そうとする。朝鮮・明との戦乱。死期を迎える秀吉は、時代を息子へ渡そうとするが・・・
歴史の本を読むと、特に複雑でページ数も多い時代。細かいさざ波から学んでは、全体像をつかむことは難しく、混乱ばかりを生む。マッピング日本史では非常に簡略化された概形・しくみから学ぶ。この概形箱を「基礎」とすれば、今後出会う複雑な情報が、いとも簡単に整理整頓されよう。大波から学ぶマッピング日本史が、単に「とある一つの、便利な勉強法」ではなく、普遍的な学習法であることが、分かって頂けると思う。
700年間の武士の時代を改め、新たな先進諸国・欧米式に切り替え学んでいこうという時代風潮。江戸時代の大名所有になる地方版籍を中央政府の所有に改めることは、歴史的には武士から朝廷に人民と土地を「奉還」させる、という意義を持つ。この意味も、日本史マップを見ながらならば単純な話であることが、明らかになっていく。
武士の士風を改め、技術・制度ともに「進んだ」欧米列強式に改めていく時代。士農工商を四民平等に改める。農業社会で成り立っていた米経済を、金銭を媒介にした多業種社会へと切り替える基礎となる、地租改正。農民の寄せ集めである政府の徴兵軍が元武士の軍を駆逐していく。欧米列強に「追いつけ追い越せ」が口ぐせの、経済・軍事改革となる富国強兵制作。これらの改革が、現在の日本へつなげる基礎杭となっていく。
漢字ばかりが難しく、ここをテスト範囲とされる高校生の多くが、意味を捉えず漢字学習と化してしまう民撰議院設立建白書。繋がりを教えられず、個別知識の暗記で終わりがちな、自由民権運動・立憲政治・内閣・帝国議会のつながり。内閣制度とは他の制度とはどこがどう異なるのか、どういう構造をしているのかを説明します。「律令」と「憲法」はどちらも「最高法規」の、時代による方言と考えていいことも解説します。構造やつながりを知ることで、理解型の学習を促進していきます。
近現代となると、世界史的知識が乱入してきます。弱肉強食の時代、いわゆる帝国主義とは、本国が他国を支配カ国=植民する土地、に組み込んでいく主義を指します。王国の集合であり、各王の王たる「皇帝」による支配、という比喩はこの実体をうまくあらわしているといえるでしょう。そんな時代風性の中、朝鮮半島の勢力圏を争って、東アジアの斜陽大国・清と、小さな改革新興国家・日本が激突しました。
日清戦争の勝利により、南より朝鮮半島と中国東北地方を視野に入れた勢力範囲を持つ日本に対して、待ったをかけたロシア。実はロシアも、これらの土地を狙っていたのでした。あのナポレオンでも倒せなかった国・ロシアに対して、世界帝国・英国は直接戦争を取らず、日本との同盟を通して対する姿勢を持つ。日本の教科書によれば、賠償金まではもらえない「勝ち」方をしたと記述される。果たしてロシアの教科書には「日本に負けた」とまで書かれているかは、不明。しかし、このことが日本の満州支配への道を拓いていく。
第一次大戦の勃発地・欧州の状況解説から始まる、世界史色の強い内容。大国・オーストリアはセルビアへ宣戦布告。同じスラブ民族の血を理由にセルビアに肩入れした、ロシア。するとオーストリアはドイツと手を組む。ロシアはフランス・イギリスと手を組むことで、ついに同盟国 対 連合国のグループ戦争へと発展。日本はイギリスとの同盟により連合国側となり、中国のドイツ権益領からドイツ軍を追い出したあと、そこを日本の権益領とするための二十一箇条の要求を、中国政府に提出することになる。
「フランク王国」「西ローマ帝国」「神聖ローマ帝国」後継のオーストリア帝国が、小国となる。200年以上分割払いの賠償金を課せられた、ドイツの悲惨。戦勝国イギリス・フランスはアメリカから大戦借金を持つ。傷つけあった欧州外にいて大国となったアメリカのみが、ドイツを救う余地を持つ。今後地上から悲惨な大戦を起こさない決意のもと生まれた、国際連盟。恒久的平和はここから始まるはずだったのだが・・・
「人類の決意」を壊す、引き金は意外なところにあった。世界大恐慌。他国を救う余裕のなくなった、アメリカ。資金は逆循環を始める。ドイツは英仏に賠償金を払えなくなる。英仏はアメリカの取り立てに手を焼く。いじめられっ子と化したドイツは戦勝国の苛酷な取り立てに、やむなく紙幣乱印刷。ハイパーインフレに見舞われる暗黒のドイツは、この先一体どうなるのでしょう・・・・
暗黒のドイツの中から、ナチス党ヒットラーが登場。再軍備宣言、賠償金不支払い、近隣国への軍事侵攻。戸惑った戦勝国の融和政策。これに不信感を持つソ連は逆に、ドイツと不可侵条約を結ぶ。東側の堤防をつくったヒットラーは、東への侵攻。イギリスの同盟国であるポーランド侵攻を契機に、新たな大戦が口火を切られてしまう。一方、日本は満州へ軍事侵攻をかけ満州国を設立。国際連盟を除名された日本は同様の立場のドイツ・イタリアと枢軸国を結成。
ヨーロッパ戦線はドイツにフランスが負け、イギリスの粘り強い抵抗が続く。東アジアでは日中戦争がはじまる。中国は国民党と共産党が内部紛争を続けてきたが、日本に対して手を結ぶ。日中戦争を続けながら、日本はアメリカと太平洋戦争を始める。結果、第一次大戦を遥かに上回る大戦が発生してしまう。条約を破りソ連まで敵に回したドイツは破滅。条約を破り連合国側についたソ連。アメリカによる、広島・長崎への原爆投下。ソ連による、満州侵攻。日本はついに無条件降伏の道を取る。
敗戦国・日本を支配したのは、連合国軍。ただし、日本を倒した最大者がアメリカであるため、実質的にはアメリカ中心の支配となる。これが、現在の米軍基地がある直接の原因となる。戦勝国による苛酷な支配がなかったのは、アメリカ・ソ連の冷戦が関係している。日本は資本主義のアメリカ陣営に与する。アメリカに「軍事力を持つな」と言われ、平和憲法をつくった。朝鮮戦争の激化により軍事力を持ってもらいたくなると、アメリカにより自衛隊創設へとつながる。これらは「無条件」降伏を起源としていると考えられる。戦勝国からの実質的な命令と、民主主義を標榜する民衆からの声の狭間。
平和憲法を持つことによる軍拡の限界は、民需中心の産業を推し進める。高度経済成長によって、世界第二の経済大国の地位を得る。アメリカ陣営にいることによる、中東のオイルショック。ソ連とアメリカの冷戦と、その解消。社会主義実験の失敗と、ソ連崩壊。日本のバブル経済、その解説。今日に至るvol.3の解説はここで終了する。
「歴史の勉強は暗記だ」と考えている方、暗記は苦手で歴史は嫌いだという方へ。このコースでは丸暗記ではない、理解型学習「マッピング日本史」のご紹介です。私の塾・個別指導塾クレアアカデミーにて10年以上、最も人気のある専門講座のうちの一つを、あなたにもお届けします。きっと、歴史の見方・見え方が全く変わることでしょう。そして「どうしてこんな勉強法がこれまでなかったのか」「この勉強法こそ、全ての人が歴史を学び始めるときに使うべき方法だ」と、思われることでしょう。