
カウンセラー養成プログラム。モジュール2について、音声で解説を致します。このモジュールを修了することで、なぜ行動しているのに上手くいかないのか、明確に理解することができます。例えば、自己啓発セミナーを受けたり、ビジネス書を読んだり。人は、前向きな情報に触れると、行動を起こしたくなります。自分や人生を変える上で、行動するのが大切なのは確かでしょう。ただし本当に大切なのは、行動そのものではなく、行動の意図、つまり目的意識です。多くの人は、自分自身の行動や発言の意図を自覚していません。物質的にも、精神的にも豊かになるには、行動ではなく、行動の意図に注目する必要があります。発言や行動の是非を正しく評価することで、自分や他人 が本当に取り組むべき課題、促すべき行動が分かるでしょう。チェンジプログラムは、大きく三つのモジュールで構成されています。今回はモジュール2、消費的な渇望感に関する理論、偽できない理論を学んで下さい。
これまで解説した内容を、ざっとおさらいしておきましょう。人の社会は、お互いが価値を交換しあう、分業制で成り立っています。生産した価値を交換する場は、直接交換である贈与経済、間接交換である市場経済です。ただし価値の交換には、欲望の二重一致というやっかいな問題が付きまといます。その問題を解決するため、最初に生まれたのが貸し借り、つまり信用取引の概念です。。
以上から分かるのは、価値の交換には公平性、等価性が求められるということ。貸し借りを明示せず、なんとなくで済ませていた時代もあったかもしれません。しかし貸し借りの記録があることは、なんとなく、が機能しなかったことを暗に示唆しています。借りは返さなくてはならないし、貸しは返してもらわなくてはいけない。価値の等価交換は、人の社会における暗黙的なルール、絶対原則なのです。一時的には不等価であっても、その過不足を埋めるように、他人や社会は求めてきます。ではもし、等価交換の原則を破った場合、何が起きるのかについて見ていきましょう。。
パプアニューギニア、トロブリアンド諸島には、少し変わった価値交換のルールがあります。トロブリアンド諸島は、多くの島から成り立つ、複数の他民族で構成される社会です。人々は船で島同士を往来し、クラと呼ばれる交易の共同体で価値を交換しています。クラは、つまり助け合いのシステムです。島民にとって所属しないという選択肢はありません。クラでは、特殊な貝殻からつくられた首飾りと腕輪が、贈り物として流通しています。これらの贈り物には厳格なルールがあります。首飾りは、諸島の島を時計回りに回さなくてはいけません。反対に腕輪は、諸島の島を反時計回りに回さなくてはなりません。つまり、首飾りを贈られたら、一定期間内に、腕輪をお返ししなくてはならないのです。贈り物の返礼ルールを破ることは、共同体のメンバーから外されることを意味します。つまり等価で価値を返礼しないことは、生存の危機に繋がるということです。。
純粋な物々交換の場合でも、交換可能なのは同一のカテゴリーに属する価値だけ、というルールもあります。例えば、イモをもらって貴金属を返すのは失礼にあたるということです。そういったルール違反を続ける人は、共同体の助け合いの輪から外されることになります。社会集団には様々なルールがあり、それを守らない個人は、集団の助け合いから追い出される。この点も古今東西、どの社会でも共通しています。
例えば、日本語にある村八分という概念も同様です。村八分とは、二つのことを除いてその人を集団の助け合いの輪から除外するという意味です。ちなみに二つのうち、一つは火事の消火活動。もう一つが葬式の世話です。いずれも放置すると他人に迷惑がかかるため、仕方なく面倒をみるということでしょう。もらった価値を返さないことは、助け合いシステムから外される。端的に言えば、それはつまり、死を意味するということです。。
人の社会では、価値をもらったら同等の価値を返さなくてはならない。このルールは暗黙的かつ絶対的です。そうした方が良いという道徳観念ではありません。そうしなければ生きられないという社会の、自然のルールなのです。しかし絶対的な返礼義務の感覚は、時代とともに形骸化しています。。
クラーク探検隊が北米を開拓したとき、あまりの寒さに原住民から毛皮を贈られたそうです。探検隊はそれを一方向的なプレゼントとみなしました。しかし原住民はギフト、つまり返礼義務をともなう贈り物として価値を渡したのです。ところがいつまで経っても探検隊から同等の価値は返ってきません。その結果、原住民と探検隊の関係には溝が生まれました。クラーク探検隊がうまく交渉できなかったのは、返礼ルールに対する厳密さを知らなかったからです。お返しした方が良いのではなく、絶対にお返しをしなくてはならないのです。。
ここで少し、贈るという言葉について考えてみましょう。英語における、ギフトという言葉は、双方向性のニュアンスを含んでいます。しかしプレゼントという言葉には双方向性はあまりありません。ちなみにプレゼントという言葉には、現在という時制の意味もあります。双方向的な助け合いは、長期的な関係、未来という概念が不可欠です。プレゼントには、長期的な時間の概念がないことを暗示しています。一方、ギフトという言葉には、天賦の才能という意味もあります。才能は自然や親から与えられた贈り物ということです。才能を発揮し、社会に貢献することは、贈り物に対する返礼にあたります。つまり才能を使うことは個人の自由ではなく、義務なのです。日本におけるお中元、お歳暮、祝儀返し、これらも贈与経済の名残です。すべて返礼義務があるため、返さなくてはいけないという気持ちになります。。
では今度は、日本の文化に焦点を当ててみます。日本の文化は、返礼義務に対してとても敏感です。そのことは、日本語の表現や言い回しにも現れています。太平洋戦争時、日本文化を研究した文化人類学者、ベネティクトの記録に、価値交換に関する日米の決定的な違いが記されています。他人に助けられたとき、日本人は、かたじけない、つまり申し訳なさ、恥ずかしさを感じます。助けてもらったら感謝して終われば良い。これが欧米の人の感覚です。彼らには、情けない気持ちを感じる理由が分からないのです。しかし恥の心理はとても単純です。助けてもらったとき、申し訳なさを感じるのは、返礼ができないからです。そのことは、すみません、という言葉の意味を紐解くと分かります。すみませんとは、価値の返礼が済んでいませんという意味です。助けてもらった、お世話になった。なのにまだお返しができていません。取引はまだ済んでいません。これが、すみませんの本当の意味です。価値が不等価のまま取引を終える場合、罪悪感や申し訳なさが生まれるのはむしろ真っ当と言えるでしょう。もらった価値は返さなくてはならない。これは道徳や価値観ではありません。そう振る舞うように人の神経系統が配線されている。つまり価値交換の等価性は、人の感情にも影響を与えている、ということを意味しています。。
これまでの内容をまとめながら、少しずつ結論に入っていきましょう。人にとって他人と価値を交換する以外、生きる方法はありません。価値の交換には等しさが求められます。しかし、いつでも等価交換が成立するわけではありません。価値交換の偏りを忘れないため、債務があることを記録に残すのです。それが原初の貨幣であり、現代のお金なのです。。
お金はとても便利な道具です。価値を測り、交換し、保存することができます。しかしあまりにも便利なため、お金が価値交換の本質を崩壊させることがよくあります。例えば、あなたが友達の誕生日をお祝いするパーティを開いたとしましょう。もちろん純粋な友情からです。終わった後、その友達はこう言いました。お金、いくらかかった?支払うから請求してくれる?。あなたは悲しくなったり、不快な気持ちになるかも知れません。価値を返礼する道具として、お金は便利すぎるのです。
誕生日を祝ってもらうという精神的価値を返礼するには、本来、同じカテゴリーの価値を返さなければなりません。首飾りの贈り物に対してイモを返礼してはならないのと同じ理由、つまり失礼なのです。返礼ルールを破ることの結末は、あらゆる集団で共通しています。それは助け合いシステムからの除外です。。
価値をもらったら返礼しなければならない。これは集団の絶対ルールです。お金は単なる価値のシンボルであり、価値そのものではありません。もちろん価値と交換できるため、返礼するのにお金が適した場合も多くあります。例えば、飲食店を出るとき、食事の対価としてイモを差し出す人はまずいません。普通はお金を支払います。しかしお金は、すべての価値と交換できるわけではありません。その点を誤解すると、クラーク探検隊のように、人間関係の失敗をまねくことになります。お金で交換できるのは実体のある物質的な価値のみです。実体のない精神的な価値と交換はできません。そのため温かみのある人間関係は、お金を介入させることでいつでも簡単に壊すことができます。
例えば男性と食事したとき、最近は割り勘で払いたがる女性が増えたと言われています。これは男性が食事と引き換えに期待するような返礼はしない。価値交換は済みましたという意思表明なのです。労使間トラブルで訴えられた企業は、お金を払って早く解決したいと思うそうです。債務を残さず取引を終了するために、お金はとても役に立つ道具なのです。。
もらった価値をお金で返礼することは、貸し借りをなくすにはとても有効です。しかしお金による取引の短期終了がもたらすのは、良い結果ばかりではありません。お金を使った短期取引では、長期的かつ継続的な、信頼に基づく人間関係が成立しないのです。例えばあなたが友達に食事をご馳走になったとします。その場合、次はこちらがご馳走するという貸し借りの関係が成立します。その貸し借りを清算するために、また会って食事をともにするわけです。つまり、貸し借りがあるからこそ、長期的な人間関係が生まれるということです。貸し借りがない状態をキープするのが良いのではありません。偏った貸し借りを清算する過程で、特定の他人と継続的に付き合うこと。それこそが精神的価値の源泉なのです。。
チェンジ理論では、人が所属する集団を大きく3つに分類しています。具体的には、仕事、家庭、社会です。これまで解説した価値交換のルールは、あらゆる集団に反映されます。大きな集団だけではありません。人が二人以上いる状態はすべて集団なのです。上司、部下、同僚、配偶者、親子、友人、隣人、町内会、PTA。あらゆる人間関係で、価値の等価交換原則が適用されています。個人との関係だけではありません。店舗や企業との関係、つまり購買活動においても、価値の等価交換原則が当てはまります。市場経済とは、端的に言えばお金を使った贈与経済のことです。価値のやり取りに等価性が求められることは何も変わりません。
人は価値の等価交換原則に縛られて生きています。その縛りから逃れることはできません。為替、株、電子マネーなど、貨幣や価値の見た目がいくら変わろうとも、その原則が崩れることはないでしょう。価値交換の真実を知ることで、人間関係や購買活動に対する態度も変わるかもしれません。例えば、喫茶店で珈琲を購入した場合、本来は店側が求める同等の価値を返礼しなくてはなりません。しかしイモを返すわけにはいきません。大抵は店側が欲しがる価値を持っていないため、債務、貸し借りの証明書を発行します。それが貨幣、お金なのです。金を払っているんだからいいだろう。こういった態度は本来、滑稽なものなのです。価値交換の流れを集団の構成員全員が回し合うことで、価値がまた手元に戻ってきます。これが経済システムの循環です。。
メソポタミア文明が貸し借りの概念を発明してから、約7千年が経ちました。見た目は変わっても、貸し借りを清算する過程で人間関係が生まれる点は変わっていません。古代の粘土板が価値を持つのは、発行者が信頼に足る人物だからと言えるでしょう。発行者のアル・ミラさんが、信頼できない人ならば、あの粘土板に価値はないのです。現代、あらゆる貨幣の信頼性を担保しているのは、ビットコインを除き、国家です。近代以前、硬貨や紙幣は金や銀など、貴金属と交換することができました。つまり実体のある価値との交換を約束することで、貨幣の価値が担保されていたのです。しかし現代では、硬貨や紙幣を貴金属と交換することはできません。つまり貨幣システムを支えているのは、国家に対する信頼のみということです。一昔前の千円札は、千円分の貴金属と交換できる、だから千円分の価値があると認識されていました。しかし現代の千円札は、千円分の価値があると皆が信じている、だから千円分の価値があるのです。現代の貨幣経済は、この循環論法と国家に対する信頼によって支えられています。。
結論、お金は貸し借りの証明書に過ぎません。古代の粘土板と同じように、この証明書は第三者に譲渡することができます。つまり債権譲渡を繰り返しているのが、現代の経済システムの実態です。会社から給料をもらうということは、価値の貸しが増えることを意味します。反対に、お金を払うということは価値の借りが増えることを意味しています。多くの人は、他人に貸しをつくりたいのです。たとえそれが不当な交換によるものであっても、貸しを増やしたいと願う人は少なくありません。しかし借りは当然、貸しが溜まっている状態も、価値の流通を滞らせていることは確かでしょう。。
注目すべきは、価値の不等価交換は、人の感情や気分に影響するという点です。モジュール1で解説した通り、神経系統を含む、人の身体構造は数十万年もの間、基本的に変わってはいません。現代人は例外なく、価値の等価交換に応じ、集団所属を維持できた個体の子孫です。未清算の貸し借りに対し、感情が動かなかった個体の子孫ではありません。つまり人類は、未清算の貸し借りに対し、不快感を感じる神経系統を持っているのです。おそらくそれは、犯罪者の心境と似ているかもしれません。ビクビクしたり、被害者意識が強くなったり、漠然とした不安があったり。不等価交換の発覚が意味するのは集団除外、つまり死です。もちろん実際に死ぬわけではありません。ただし罪悪感という内面的な罰を免れることは原則、できないのです。。
ちなみにドイツ語で借金を意味する言葉は、罪悪という意味を持っています。お金を儲けることが罪悪なのではありません。人の内面で、免れようのない罪悪感を引き起こす要因は大きく四つ。不当に価値を得ること。不当に価値を渡すこと。価値を流通させないこと。価値の返礼をしないこと。メンタルヘルスで問題のある人は、いずれかの原則を破っている可能性が高いと言えます。価値の等価交換契約を履行していないにも関わらず、内面的な罰、罪悪感を感じない人のことをサイコパスと呼んでいます。ただし脳に器質的な障害がない限り、罪悪感がないことは考えられません。罪悪感がないのではなく、罪悪感を認識できないだけである可能性が高いでしょう。そのような人がいたとしても特別扱いせず、原則通りの対応を心がけて下さい。。
以上、モジュール2を理解する上で前提となる、貨幣と経済の基礎知識について解説しました。今回の音声補足では、主に物質的価値についてのみ説明しています。しかし精神的価値に関しても同様の等価交換原則が適用されます。以上の内容を踏まえ、モジュール2、フリーライダー理論の本編に入っていきましょう。
事前解説で論じたように、人は他人と価値を交換することで生きています。物質的価値、精神的価値。いずれの価値も一人で生み出す分には限りがあります。多くの価値を得られる人、つまり人生がうまくいく人とは、交換がうまい人です。。
交換がうまい人は、もらう、消費よりも、あげる、生産が大きい状態をキープします。すると時間の経過とともに、等価交換原則が働き、余分に生産した価値が手元に戻ってきます。等価交換原則は、消費と生産がイコールになるよう、外的環境に圧力を加えます。この、環境や他人に働く等価交換の圧力を、等価圧と呼びます。。
うまくいく人は、ここでさらにバランスを崩します。彼らはイコールの状態ではなく、消費よりも生産が多い状態をキープするのです。するとまた等価圧が働き、価値が戻ってきます。。
このサイクルを繰り返すことで、物質的価値、精神的価値のインカムを増やす。これがうまくいく人の生き方なのです。うまくいく人は一時的な損害を恐れません。未清算の貸しがあっても動揺しないのは、他人を信頼しているからです。。
等価交換調整の原則は、あらゆる場面で表現されます。例えば、友人同士で会話する場面を想像してみて下さい。多くの人は、自分の考えを他人に聞いてもらいたいと思っています。他人に考えを認知してもらうのは、人にとって価値なのです。そのため、講義や指導の場を除き、話すことは消費、聞くことは生産に相当します。。
話すと聞く。会話において、本来、これらの質量はイコールになるはずです。しかし多くの場合、人は、聞くよりも話すことに意識を向けています。一方的に話したがる人は、職場や友人関係でも、少しずつ人が離れていくでしょう。
友人関係は対等です。それにも関わらず、聞くよりも話すのが多い場合、それは代金を支払わずに商品を持ち帰るのと、原則的には同じです。人の社会では、価値をもらったら必ず価値を返さなくてはなりません。等価交換に応じられない、非協力的な人は、少しずつ集団から除外されていくでしょう。。
人生がうまくいかない人は、生産よりも、消費が大きい状態をキープしようとします。楽に儲ける方法を考えたり、思いを一方的に押し付けたり。支払いなく、価値をもらうことに意識が奪われるのです。その結果、時間の経過とともに等価交換調整の原則が働き、もらえる価値が減っていきます。。
うまくいかない人は、それでも、生産よりも消費が大きい状態をキープするでしょう。するとまた等価圧が働くため、さらに価値が逃げていきます。このサイクルを繰り返すため、物質的価値、精神的価値とも、インカムが減り続ける。これがうまくいかない人の生き方です。
うまくいかない人は、価値交換による損害を過度に恐れます。貸し借りをすぐに回収したがるのは、他人を信頼していないからです。価値が返ってくることを、信じていないからこそ、価値を手元にため込もうとするのです。
人の社会は、お互いが価値交換をすることで成り立っています。価値をもらう、消費するには、相応の価値を生産しなくてはなりません。価値交換の戦略には、大きく三つの種類があります。。
一つ目が、フリーライダーです。あげる、価値生産より、もらう、価値消費が大きい状態をキープする戦略です。フリーライダーの人生テーマは、テイク、つまり、ぶん取るです。例えば、詐欺まがいの仕事をしたり、他人の会話や時間を奪ったり、税金や返済を滞納したり。等価で価値を交換する、返礼することを拒みます。実質、集団から除外されるため、いつも渇望感を感じながら生きているのが、フリーライダーの特徴です。。
二つ目が、イコールマンです。あげる、価値生産と、もらう、価値消費がイコールの状態をキープする戦略です。イコールマンの人生テーマは、トレード、つまり取引です。言われた仕事だけをする、権利主張が先に立つ、先に価値を提供しない。価値の貸しが増えること、価値が返ってこない状態を嫌います。すぐに貸しを返すよう求めるため、価値のインカムは大して増えません。一見、見たされているのに、物足りなさを感じて生きているのがイコールマンの特徴です。。
三つ目が、プライムギバーです。プライムとは、先に、という意味です。つまり、価値の前払いができるのです。もらう、価値消費より、あげる、価値生産が大きい状態をキープする戦略です。彼らの人生テーマはギブ、つまり与える、です。貢献的な活動をしたり、無償で他人を助けたり、社員や子供を養ったり。借りはきちんと返しますが、貸しを返すよう求めることはありません。しかし、価値の等価圧が働くため、常に他人から価値が返ってきます。物質的にも精神的にもいつも満たされた状態で生きているのが、プライムギバーの特徴です。。
フリーライダー、イコールマン、プライムギバーは、人にひもづく定義ではありません。例えば、あの人はフリーライダーだ、のように、人の生き方をタイプ分けする概念ではないということです。三つのテーマが示すのは、あくまで状態です。例えば、夫婦喧嘩をしたとき、お互い、フリーライダーだった、のように、特定の状況における、振る舞いを表現する際に使います。。
人は、いつも特定のテーマに縛られて生きているわけではありません。ある状況下でフリーライダーであっても、他の状況でプライムギバーということもありえます。人の心理状態を客観的に把握するための、便宜上の分類であることに注意しましょう。
物質的価値とは、人が生きる上で、必要な価値です。具体的には、食物、水、衣服、住宅、社会インフラなど、物理的、生理的作用によって、人の生存を助けるものを刺しています。これらの価値を得る手段は、生産するか、交換するか、いずれかです。つまり価値を消費するには、いずれにしても、生産することが求められます。しかし貨幣を使うことで、生産なき消費も可能です。つまり、働かずに生きることもできるということです。。
貨幣が持つ機能の一つに、価値の保存があります。貨幣とは、未清算の貸しがあることを示す証明書、いわば債権です。この債権を活用し、生産なき消費を実現する方法は、三種類あります。一つ目が、過去に溜めた債権を使うこと。二つ目が、他人が溜めた債権を使うこと。三つ目が、精神的価値を支払うことで、物質的価値の債権を手に入れることです。。
今回は三つ目、精神的価値を物質的価値に交換する方法に注目してみましょう。精神的価値とは、本来、物質的価値の交換に付随する、副次的なものです。例えば、見知らぬ他人から助けてもらい、暖かい気持ちになる。上司から気にかけてもらい、安心する。精神的価値は、あくまで主観的な価値であり、実体がありません。そのため物質的価値のように測定する、保存することができない。つまり、価値の流通における柔軟性はとても低いと言えるでしょう。。
別の表現をするならば、精神的価値は、貸し借りに基づく信用取引によってのみ交換できる、と言えます。そのため精神的価値は、生産なき消費ができません。受け取れるのはあくまで生産した分のみ。気遣った分しか気遣ってもらえないのです。もちろん、お金や物品で交換してもらうこともできません。つまり物質的価値から精神的価値へ交換することはできない、ということになります。
その逆で、精神的価値から物質的価値へ交換することは可能です。それを実践しているのが、赤ん坊や子どもです。赤ん坊や子どもは、自力で価値の生産ができません。そのため、価値を交換することもできません。つまり支払いなく、物理的価値を手に入れなくてはならない。これでは、他人と価値交換をする以外、生きる方法がないという、社会の原則から外れてしまいます。ここで注目すべきなのは、子どもが持っている精神的価値、つまり、可愛らしさという価値です。。
可愛らしさという精神的価値を対価にし、赤ん坊は物質的価値を得ています。存在そのものが価値を感じさせるため、まったく生産をしていないわけではありません。では、可愛らしさとは何なのでしょう。動物行動学者、ローレンツは、人だけではなく、哺乳類や鳥類の赤ん坊を観察し、可愛らしさを生み出している、視覚的な構成要素を分析しています。具体的には、頭が大きいこと、頬が丸いこと、目と目が離れていること、などが挙げられます。これらの視覚的な特長に対し、人は可愛らしさを感じる。そのような神経系統が、もともと配線されている、ということになります。。
さらに、古生物学者、グールドも、可愛らしさについて、いくつか定義しています。代表的なものは、顔全体に対する目の大きさ、額が出ていること、顎が出ていること、などです。グールドは、自身の著書で、ミッキーマウスの進化について論じています。当初のミッキーマウスは可愛くないのです。目が小さく、体や顔の丸みもありません。それが、時代を経るごとに目が大きくなり、顔も体も丸くなり、可愛らしく進化していきました。グールドはこう述べています。ミッキーマウスの変化が意図的なものかどうかは分からない。しかし可愛らしさを引き出すよう、姿かたちを進化させたことは、生物学的な敬意を表する。。
頬の丸み、目の大きさ、額の出っ張り、顎の出っ張り。これら可愛らしさを喚起する特徴は、いずれも成人する過程で失われていきます。つまり、生産なき消費を実現するのに不可欠な、可愛らしさは、すぐになくなってしまうのです。子どもは次第に社会から、物質的価値の生産を求められるようになります。。
等価交換というステージに挑戦する上で重要なのが、社会化の訓練です。猫の場合、社会化の時期は、生後一年程度。人の場合だと、10歳前後が、おおよその期限とされています。いずれも、恐怖心より好奇心が先に立つ時期であり、その期間に社会性を獲得しなくてはなりません。人の社会性とは、他人と協力し、価値を生産し、それを交換する能力を意味します。。
ステージの変化によって価値交換の戦略が変わることは、モジュール1で解説した通りです。ただし、変更の必要性を知らせる合図があるわけではありません。価値交換のテーマをうまく更新できなかった場合、成人しても、支払いなく価値を求める傾向が残ります。等価交換に適応できない点は、病名の有無に限らず、精神的な問題を抱える人に共通しています。
人の人生は、物質的価値のフリーライダーから始まります。赤ん坊は、自力で物質的価値を生産することができません。そのため赤ん坊は、精神的価値を提供することで、物質的価値を得ています。しかし、精神的価値の源泉である可愛らしさは、発達するごとに失われていきます。それが尽きてしまう前に、価値を生産し、等価交換する技術を学ばなくてはなりません。つまり、幼少期や学童期は、生きるための準備、練習期間なのです。。
個人的な振る舞いを許される家庭から、協力と生産が求められる集団へ。あらゆる人が、幼少期に生活ステージの変化を経験します。もちろん、そのとき周囲にいる仲間たちも、準備や練習の真っ最中です。そのため、集団の他人と衝突するのは当然の結果と言えるでしょう。。
青年期に入ると、人は身体的な成熟を迎えます。それまでの不自由さから解放されるのです。家族以外の社会に参加し、他人と接する機会が増えていきます。
家族関係が減り、代わりに増えるのが友人関係、異性関係です。より協力的、より生産的な振る舞いが、求められるようになります。その頃に経験するのが、いわゆる第二反抗期です。反抗期は、依存から脱却するため、つまり、自立するために迎える、一過性の不適応状態と言えるでしょう。
ベネッセ未来教育研究センターの調査によると、中学生の約8割が、親子円満である、と回答しています。一見すると良い結果に見えるかもしれません。しかし、この調査結果が示唆しているのは、反抗期の減少です。NHKが番組内で行なった調査では、大学生の54.7%が、反抗期はなかった、と回答しています。。
もちろん、反抗期がないことが悪いというわけではありません。自己責任で判断するように教育している場合など、反抗する必要のない環境もあるはずです。そうでないのに反抗が見られない場合、考えられる理由は三つ。過干渉、甘やかし、無関心です。過干渉は、人が自己責任で判断する機会を奪います。過度な甘やかしは、人が自力で葛藤を解消する機会を奪います。無視や無関心は、人から自己主張をする意思を奪います。これらの背景は、家庭教育だけのものではありません。学校教育はもちろん、地域や国家の体制、文化や時代背景、経済情勢など、様々な影響を受けた結果と言えるでしょう。。
本来、青年期の人が考えるべきなのは、価値を生産する方法、つまり仕事や役割です。人の社会は、生産価値の余剰分を交換しあうことで維持されています。そのため、価値の等価交換は絶対です。決して、生産なき消費は許されません。もし、協力的ではない人がいた場合、物理的、精神的に除外されてしまうでしょう。どのような事情があろうと、できないとは言えないのです。。
しかし精神的な自立を果たすことなく青年期を終えた場合、社会的な判断を回避する傾向が強く残ります。学業を放棄する、労働を回避する、友達をつくらない、異性を遠ざける。いずれも社会的な判断とは言えません。個人的な判断は、意識で考えるよりも早く生じます。その判断が正しくあるには、原因が必要です。他人、過去、環境を見渡せば、原因らしきものはすぐ見つかるでしょう。。
その原因のせいで、社会的な判断ができないというのは、真実ではありません。偽のできないを使い、支払いなく価値を消費するのは、フリーライダーの代表的な戦略です。幼少期、学童期が、物質的価値のフリーライダーであるのは当たり前です。しかし青年期を過ぎても、タダ乗りの傾向が強い場合、適切な再教育が必要となります。訓練し切れなかった社会性を、再教育するのが、本来のカウンセリングの役割なのです。
カウンセラー養成講座その1「偽できない理論」では、なぜ人は行動しないのか?がテーマでしたが、次のこの講座のテーマは「お金と心と人間関係」です。
「なぜ行動しているのにうまくいかないのか?」Change理論その2フリーライダー理論の解説講座でもあります。
人の悩みは「お金と人間関係」この二つに集約されます。
今回の講座では、この二つについてお話をします。
・なぜ人はお金や人間関係に悩むのか?
・そもそもお金とは?
・どうすればいいのか?
について詳しくお伝えします。
Change理論では、価値交換の方法を3つに分類しています。
1、フリーライダー
2、イコールマン
3、プライムギバー
そして、それを理解する上でも、お金の本当の正体と意味についても学んでいきます。
そして、人生にうまくいく人は1から3のどの戦略なのか?
どうすればいいのか?
その時カウンセラーは、どういう知識とスキルを持って導いていけばいいのかについてお話ししています。
この講座は受講していただくと、カウンセリングによって、その方たちに気づきを与え正しい方向に導くことが出来るようになります。
各動画の説明のところにも講座の内容を詳細に書いていますので、そちらも是非読んでいただけたらと思います。
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講師のプロフィール
The change 代表 小楠 健志(おぐすけんじ)
■世界の映画祭で100以上の賞を受賞した映画監督
■ NPO法人ジコサポ日本創始者
■元総合格闘技修斗世界2位
■ブラジリアン柔術アジア大会優勝
・著書29冊、写真集13冊出版
・治療家(柔道整復師)でもある
日本にメンタルのインフラを構築すべく「The Change」を片田智也氏と共に創設し活動をしている。